2019年11月26日火曜日

ラファエル前派展

人によっては「今頃かい」、と言う人もいそうですが、あべのハルカスへ「ラファエル前派展」を観に行って来ました。



不勉強なもので、歴史的な由来とかは知りませんでした。ただ、個人的に、あのダンテ・ゲイブリエル・ロセッティやジョン・エバレット・ミレイの絵画の不思議な色気の理由を知りたいな、とずっと思っていたのです。

なので、今回は、その辺りを考えながら展覧会場をぐるぐる歩き回ってました。

ロセッティ、モリス、ラスキン、ミレイ氏らの複雑な三角関係や不倫?などがパンフに図示されていたりしてましたが、どうも私としてはそれが主な理由としてあの色気があるとは思いたくない。

だって、モデルと関係とか、友人の奥さんとか、そんなのよくあることじゃん。それは彼らに特有なことではないし、主な理由になり得ないと思うのです。もちろん、表現の要素の一つではあるとは思いますが。



それで、ぐるぐる歩きながら考えたところ、おそらくは、これは、時代のせいなのではないか、と。
具体的に言うと、モデルの眼はもう現代とは言わないまでも、近代人の眼になっているのに、衣装や状況はクラシカルな絵画になっている、という微妙なコスプレ感が色気を出しているのではないかと思ったのです。

1850年ぐらいから1900年ぐらい、もう神様は素直に信じられる時代じゃないし、素直に写実的に具象を描けば「どうしよう、私たち」という私たち人間がある、という状況が妙に心打つというか、古典的なのに妙に生々しい感じで迫ってくる、ということなのではないか。


どうでしょうね?

2019年11月22日金曜日

エル・チョクロ

ここ数日どうも体調が思わしくなくて、主にひきこもってだらだらしていたわけですが、それでもちょこちょこと、気になってたことをやったりしてました。

えーと、タンゴの古典「エル・チョクロ」という曲を私はわりとよく弾くのです。この曲はもともとベーシストの西村直樹さんが教えてくれたのを、気に入って自分でもソロでよくやっているのですが、由来とか歌詞とか何も知らないので気になっていました。

それで、先日、お客さんとして来ておられたスペイン語翻訳家の平井うららさんから、タンゴの歌詞集を貸していただく機会があり、「ちょっとちゃんと読んでみようかな。あわよくば自分流の訳文を作ってみようかな。」と思ったわけです。

それで、やってみたものの、どうももやもやする。それでネットで調べてみたら、もっともやもやする。もやもやしたものを書くのもどうかなとも思うのですが、とりあえずそのまま、もやもやと書いてみることにします。




EL CHOCLO

letra de Enrique Discépolo,Carlos Marambio Cantán
Música de Angel Gregorio Villoido


Esta milonga que es en mis horas de tristeza,
Te examiné en tu recuerdo cariñoso.
Encadenando me has tú notado dulcemente;
Siento que el alma se me encoge poco a poco.
Hoy que los años han blanqueado ya mis sienes,
¡Tango querido, viejo tango que me embarga
Con la cadencia de tu música sentida !
Recuerdo aquello época tan linda que se fue.

このミロンガはおれの悲しみの時間、
おまえのいとしい記憶を呼び起こす。
おれは縛りつけられたようになっていて、お前は気づいていた;
おれの心はちょっとずつキュンキュンしていたんだ。
今はもう年月がおれのこめかみを白くしてしまった、
愛しいタンゴよ、古きタンゴよ!
お前の和音の流れがおれをつかんで離さないのだ!
過ぎ去ったあの美しい時間を思い出させるから。

Por tu milagro de notas agoreras
Nacieron sin pensarlo las paicas y las grelas,
Luna en los charcos, canyengue en las caderas
Y un ansia fiera en la manera de querer...
Al evocarte...
Tango querido...

おまえの預言者のような不思議な音色から
思いがけずもパイカとグレラのような恋人たちが生まれたのだ。
みずたまりに映る月、カニェンゲダンスをする尻
愛に飢えたけだものの欲望のマナー
お前を思い出す時…
いとしきタンゴよ…

Siento que tiemblan las baldosas de un bailongo
Y oigo el rezongo de mi pasado
Hoy que no tengo...
Más a mi madre...
Siento que llega en punta a pie para besarme
Cuando tu canto nace al son de un bandoneón...

おれは踊り場の石床が震えるのを感じる
そして過去のつぶやきを聴くのだ
今はもう…
母さんもいない…
おれにキスをするために、つま先立ちで近寄って来るのを感じるよ
バンドネオンの音色からお前の歌が生まれる時にね



(アンヘル・バルガス版より)



日本語訳は池田が書籍の細川幸夫訳とグーグル翻訳および画像検索やユーチューブ情報などを見比べてでっちあげたものです。
訳していて言うのも何ですが、なぜお母んが出てくるのか、とかよくわかってないです。
そもそもこのアンヘル・バルガス版の歌詞、書籍によると「マラビオ・カタンとディセボロの歌詞をうまく編集してアンヘル・バルガスが歌ってるレコードから収録したもの」らしいので、オリジナルの意図などはよくわからないかも、なのです。

では、オリジナルの意図とは何か、これを調べ始めるとまたややこしい。

まず、英語版のWikiを参照してみたら、

「最初、Villoldoさんが書いた歌詞は食べ物としてのとうもろこしの詞であった。彼はのちに別バージョンの”Cariño Puro”というタイトルの詞を書いた。また他のバージョンを、Carlos Marambio Catánさんが1930年に書いた。しかし一番有名なのは、Enrique Santos Discépolo さんの1947年バージョン。これは人生の方法としてのタンゴを歌っている。」(Wiki英語:読み違えてたらごめん)

とある。うーん、よくわからんけど、ディセポロさんバージョンが一番有名で出来がいいってことなのかなあ…?

それで、念のためにスペイン語版のWikiを参照してみた。
すると、

「El chocloのオーケストレーションはÁngel Villoldoさんによって1903年に発表され、1905年に出版された。しかし、もともとのメロディー"タンゴのGuardia Vieja"と呼ばれる部分は1898年には作曲されていた。その作曲にはCasimiro Alcortaという今は忘れ去られて不遇のうちに死んだ黒人のバイオリニストが貢献していたらしい。
1903年にブエノスアイレスのエル・アメリカーノ・レストランで、ホセ・ルイス・ロンカージョ楽団が楽譜を書き起こした時、現地オーナーとの衝突を避けるため、下層階級と共演するときには「クレオール・ダンス」という曲名にして演奏していた。
エル・チョクロはとうもろこしの意味で、ヴィジョルド自身はシチューの具で一番美味しいからその名前をつけた、と言っているが、とうもろこしのような毛の人の渾名だとか、タンゴが生まれた売春宿地帯のことを指してるのだとか、いろいろ言われている。」
(wikiスペイン:読み違えてたらごめん)

とある。ええ?それって、作曲そのものもパクリかもってこと?、いや、パクったとまでは言わなくとも部分的無断流用なのかも?、カシミロって誰?

こうして、調べれば調べるほどもやもやが広がってゆき、よくわからなくなって来ているのです…。まあ、日本で言えば明治時代の頃の話、あいまいでも不思議はないのですけど。

2019年11月5日火曜日

「しるこの園」書き起こし脚本

11月1日より、第45回やみいち行動「しるこの園」書き起こし脚本を販売しております。
 小さ子社さんの協力で、自費出版という形での作成です。販売は、現在のところアマゾン、楽天、ヤフー、honto等々 サイトから注文できるようになってます。「しるこの園」で検索すれば出てきます。


過去にも、やみいち行動の書き起こし脚本化、というのはちょっとずつやっておりまして、古くは20年前「あんこく街」の頃にやっているのですが、(現在もやみいちHPの「過去の行動」から無料で見れるようになってます。)書籍化して販売するというのは今回が初めてです。

一般の、やみいちを観たこともなければ、戯曲を読んだこともないという人にとって面白いかどうかは皆目わからないです。そもそも戯曲を読むというのはハードルの高いことですし、私自身昔学生のころ何も知らずに唐十郎戯曲、つかこうへい戯曲、野田秀樹戯曲など読んだものの、恥ずかしながら初めて読んだときはわけわかりませんでした。戯曲には、上演されているものを知らないと理解しにくいタイプのものが確実にあります。そうじゃないものもありますけど。

なので、まあファンブック感覚で読むものなのかもしれないと疑いつつ、しかし私にとって、いやおそらくは、やみいちを好きだと言ってくださる方であれば楽しめるものだと信じております。
(あわよくばもしかして、知らない人にも伝わるなどということがあればという、かすかな期待も無くもないと思いつつ。)



実は、「しるこの園」は結構いい出来になったから、映像記録をYouTubeに公開しよう、という企画があったのですが、いろいろ話した結果取りやめになった経緯がありまして、
ちょっと残念に思ってました。
だから、カフェギャラリーときじくさんから、本にまつわる企画展に参加しないか、という連絡を受けたときに、「久しぶりに、やみいちの記録を聞き、書き起こし脚本を作ってみよう。」という発想が私の中でつながったのです。

書き起こし作業は楽しかったです。当日に分からなかったネタを、検索して「ああ、そういうことだったのか」と理解したりしました。
そしてそれが本になっていく過程での、フォントを決めたりページ番号ふったり、後付けを考えたりという初めての作業も楽しかったです。

この、書き起こし脚本を作るという企画自体が広がっていくのか、しぼんでいくのか、分からないけど、ともあれいろいろやってみてちょっと違う景色が見れたら楽しいな、と思っております。




2019年10月8日火曜日

ここ数日

ぱらぱらとここ数日のことを。

 3日木曜、神の池ライブ。真奈美さんは検査入院のためお休み。お客さんは、まあ、ぼちぼちだけど、ちょっと暖かい反応をもらえたので嬉しかった。…それにしても若い客は、カンパ額が少ない。できれば500円か1000円入れて欲しいのだけど、なかなかそうもいかない。さもしいようだが、カンパが少ないと気持ちがちょっとしょぼんとしてしまう、ということはあるんだよなあ。と言いつつ、私も客としてはかなりケチな方である自覚はあるのだけど。

 4日金曜、今月29日にイベントをするZAC山荘の下見。社長さんが直々で車で迎えに来てくれた。緊張した。でも、なんだかワクワクする。山の中の隠れ家って。ZAC山荘いろいろ施設は充実してるみたいだけど、こっちに使いこなすノウハウが無いのが歯がゆい。しかし、いろいろ考えてゆかねば。

5日土曜、ときじくソロライブ。いい感じにほっこりできた気がする。プレートには柿を焼いて入れてみた。これはもうちょっと工夫が必要か。ライブの後、なぜか大豆をたくさんもらった。豆腐屋の人がけがをして作業ができないので材料が余ったとか。せっかくなのでこれを機に納豆作りにチャレンジしてみることにする。

6日日曜、朝のうちに豆を水につけておく。昼にチェルフィッチュ×金氏徹平『消しゴム山』を観劇。ジャージでコンビニに行ったらゴダールが居て話しかけてきた、というような印象の芝居であった。思弁性を求めると世界は独り言に近づいていくよな。帰って、夜は納豆を仕込んだり。

7日月曜、ひさびさに川っぺりに行ってアコーディオン練習。日差しが強い。本当に10月かよ。自転車で通りかかったどこかの外国人が「クンビア!、クンビア!」と言ってアコーディオンの楽しそうな曲を私に弾かそうとするのだが、全然知らないのでソーリーというしかなかった。残念。
帰宅して家が納豆の匂いにまみれていることに気が付いた。そうか、納豆ってこんな匂いだったっけ、と不思議な気持ちになった。おおむね発酵したようなので、冷蔵庫に入れて熟成させることにした。

2019年9月21日土曜日

まめちしき

ここしばらく、やみいちのおこし脚本を書籍化する作業をすすめてます。

私は貧乏性もあって、PCにワードを入れてないので、テキスト成型はフリーソフトのLibreofficeを使っているのですが、縦書き設定で、端っこにページ番号をつけるのが非常にめんどうだったので、今後の備忘のためにも、やりかたをメモっておきます。

・まず、カーソルをヘッダーなりフッターに持って行ってから、「挿入」、「ページ番号」
・最初のページにカーソルをもってゆき、右クリックで「ページ」、「管理」タブの項目で次に続くスタイルを「標準スタイル」に。
・3ページ目にカーソルを持ってゆき、右クリックで「ページ」、次に続くスタイルを「左ページ」に。
・このままだとなぜかページ数が飛んでしまうので、3ページ目のあたまにカーソルを持って行き、右クリックで「段落」「段落」、上のタブで「体裁」を選択し、「挿入」「ページスタイル付き」にチェックを入れて、ページ番号を「3」に。
・4ページ目にカーソルを持って行き、右クリックで「ページ」、次に続くスタイルを「標準スタイル」に。
・4ページ目の、ページ番号が書いてある部分が左になってると思うので、タブを2回打って右に送る。
・「書式」「タイトルページ」で「既存のページをタイトルページに変換」、タイトルページ数を2にして、最初の2ページ(表紙とか目次とか)の番号を抜く。

多分、これはあれだな、洋書だと左のページが偶数番号になる習慣だから、左ぺージに「左ページ」と設定しちゃうと強制的にページ番号も偶数に飛ばされてしまうという…。
だから左ページを「まあとにかく標準で」と設定して、右ページに「左ページ」という名前を付けることでごまかしてしまう、ということをした訳なのだけど、いやあめんどくせえこと。




2019年8月5日月曜日

情報

暑いせいもあり、日中はどこかの図書館にゆきすごすことが多くなってきている。
月末のイベントの下調べもあり、最近は明治時代ごろの歴史を読み漁ってる。
なんと馬鹿なことの積み重ねであることか。

今日は南北戦争について読んだが、南部の指導者は状況を把握していない。経済的状況もそうだが、隣の州が奴隷をどう扱ってるかすら把握していない。というか、南部のお互いの州を結ぶ直通電車すら無い。思い込みと、ヘイトの応酬の加熱で戦争に突入したらしい。

政治的に発言はあまりしたく無い(全ての発言は政治的だ、という理屈はおいといて)のだけど、…たぶん情報の共有がまだ足りないのだろう。と思う。ここんとこがわかってれば、こんなことにならなかったのに、と。

それは、現代でもそうなのだろう、とニュースなどを見てて思う。けれど、これほど情報が洪水のようにある時代で、まだ足りない、というのはどうなのだろうか。必要な情報だけ、必要なように受け取れる、ということができるのかどうか。


(写真は出町柳の乾物屋の猫)

2019年6月26日水曜日

つれづれ

伯父の告別式に行った。
久々に会う親族たちから「大きくなって、全然わからんかったわ」などなど声をかけられた。考えてみれば10年以上会ってなかったかもしれない。
「あの、芸人さんに似てる!、なんだっけ…、そう、アンジャッシュの人に!」と最年長の伯母から言われたが、あまりアンジャッシュを知らないので、ただ目を白黒させていた。
思ったよりざっくりとあったかい空気の中で、ああ、自分はこういうひとたちの中で育ったのだな、と今更ながらしみじみ思った。






帰宅して、まだ時間が早かったので、鴨川べりに出て、アコーディオンを練習した。
スケールの練習、ベースキーのハノン練習、シャンソン・ミュゼット、スペインもの、タンゴいくつかやって、なんとなくトロイメライを弾いていたら、雨が降ってきた。

止みそうにないので、ジャズの練習をしようと思っていたのだが諦めて帰宅。


2019年6月14日金曜日

黒いダンス

主は私の血である、とぶどうは言った。
きつねどんはうらめしそうに見ていた。
蕎麦は東京で私をよく食べた。
蕎麦の関東は黒い。
黒いダンスはかっこよいだろうか。
ステップは流れてゆく。
桃は川で流れてくるおばあさんを見つけるだろう。
おじいさんはしばかれに行くだろう。
葉が風をゆらす。
風がのれんに飛ばされる。
あれぁ さかさの傘か傘のさかさか


2019年4月15日月曜日

東京記

この間の東京ツアーの間、というか帰路暇だったので電車の中で思い出しながら日記を書いていた。今頃になって出すのも遅いかもしれないけど、せっかく書いたのでアップしておく。



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東京記1
移動日。くもり時々雨。
今回も18きっぷ。通勤電車による通勤気分の旅。
京都→米原→大垣→豊橋→浜松→静岡→熱海→東京。何のひねりもない東海道本線コースを黙々と行く。
豊橋で一時下車してお昼ご飯。土産屋で味噌カツ串を買って食おうかとちょっと迷ったが、結局駅前の王将でランチセットを食べる。
駅前の変な像が気になる。なんの由来があるのだろうか。
市電の佇まいがなんとなくいい感じ。

今回は乗り継ぎでホームが変わることが多かった。アコーディオンが重いのでけっこう大変。どこでもバイアフリーが徹底されているわけではない。
途中アコーディオンを台車に固定しているベルトの加減が悪かったのか、重心が前のめりになってアコーディオンがやたら倒れそうになるのを手でずっと抑えている。地味にストレス。
麻ひもで座席横に縛るなどして対応。



乗ってるエリアによって座席の人々の顔つきやファッションがなんとなく変わってゆく。名古屋エリアでは疲れたメガネサラリーマン風の人が多く、静岡エリアでは油断した普段着風の人が多く、東京エリアではオシャレに気を配ったしゃっきり系の人が多い印象を受けた。

赤羽駅で夕食に蕎麦を食べる。東京に来ると蕎麦が食べたくなる。つゆもそばも、関西のものより美味しい気がする。

夜はBOOK AND BEDという場所に宿泊。興味本位。本好きのための場所、というフレーズに惹かれて。
で、チェックインして本棚を見てみたが、まあまあ。広く浅く知的なものを並べましたというラインナップ。いくつかの本をぱらぱらと手に取ったが、結局ベッドに戻ってネットで坂口安吾を読んで寝る。

シーツのこすれる音のせいか、海辺にいる夢を見る。



東京記2
火曜日。朝11時チェックアウトという遅めの設定なのでだらだらと本を読んだり。本棚にあった「池袋ウエストパーク」、読んだことなかったのでぱらぱらとめくってみる。そうか、オシャレな意味じゃなかったんだね。背伸びしてオシャレに言ってる自虐的表現だったんだね。
あと近所の池袋駅周辺散歩。ライブ場所と次の宿泊場所のチェック。

昼にリハーサルをしに西村宅にゆく。まずは階下のネパール料理屋でいっしょにランチ。オープン記念で25%割引中。しかし割引中なのに張り紙などで宣伝していない。他の客がレジで安くて驚いていた。グリーンカレーを注文。



リハ。電子ピアノのペダルが効かない。おかしいな、まあしかなたいと思いながら使ってたら途中からペダルが効くようになった。理由は謎。いつもの曲に加えて「鳥の歌」「鶴」などを試してみる。「鳥の歌」はスパニッシュな解釈でアレンジをしてみる。「鶴」はちょっとクサくなりそうなのでボツ。

夕方、再び池袋に移動。雨がぱらついてくる。「うわあ、嫌だな、こんなタイミングで降ったらお客さん来なくなっちゃうよ」と西村さんが言う。風が強くて体が冷える。寒い。
店でゲストミュージシャンのちはや嬢と合流して、3人でのリハーサル後、本番までちょっと近くの焼き鳥屋に呑みにゆく。味噌味のついたレバーの串が美味い。一緒にCDを作れたらいいね、というような話をする。あとは習志野高校の甲子園出場とか、他のミュージシャンの近況とかよもやま話。

本番。天候のせいか集客振るわず。けれども演奏は面白かったと思う。
お題「夜の桃」「ゼラチンの宇宙」




東京記3
前日は思いの外疲れていたのか、せっかく宿を風呂のあるカプセルホテルに変えたのに、風呂に入らずばったりとそのまま服も脱がずに寝込んでしまった、ので朝に風呂に入りにゆく。風呂に入り、サウナに入り、水風呂に入り、サウナに入り、水風呂に入る。なんとなくデトックスされたような気になる。

チェックアウトして昼に時間が空いたので、ぶらぶらと上野の方に行くことにする。花見客で賑わっている。家族連れが多い。絵に描いたような休日のイメージが広がっている。ふわふわと所在無げに歩く。いい天気だが風が強い。



都美術館で「奇想の系譜」展を見る。若冲なら京都でも見れるのだけれど、と思いつつ。若冲、蕭白、基一、国芳、等々々。変なゾウや変なクジラや鬼やドクロやニワトリの絵を見る。面白いといえば面白いのだが、展示の順番が時系列ではなくて、おそらくはウケ狙いのよい順にならんでいたせいか、「なぜこの人たちがこういうものを描いてきたのか」についてがうまく伝わってこないな、と思う。



池袋に戻り昼食。やはり蕎麦を食う。きつね蕎麦。

夕方成増に移動。2年ぶりのニャランゴ。店主のマヤンさんが「久しぶりです」と言ってくれる。マヤンさんが拙作「残酷なワルツ」に詞をつけてみたので、歌ってみていいか、と聞いてくる。彼女がスマホで録音した音源を聴かせてもらう。いい具合にネガティブ。こういう風になるのか、と思う。不思議な気分。マヤンさんがちょっと間違っていた曲構成に関する勘違いを訂正する。

しばしして西村さんが到着。それからかなり遅刻して星さんが到着。編集の仕事が時節柄大変だとか。あいかわらずせかせかと忙しそうな様子。準備をしてリハ。

リハの後、やはりちょっと呑みに近くの2〜3軒となりの店へ。激辛たくあんキムチ豆腐や卵焼きなどをつまみに呑む。フランス料理の話や高校生ウルトラクイズの話をする。しばしして時計を見ると、8時になっている。開演時間は8時である。
「西村さん、もう8時ですよ。」
「大丈夫!」
いや、大丈夫じゃないのではと思ったが、まあ近いのですぐ戻れるし、携帯で連絡するのかなと思いだまっておく。
ちょっとすると、やはり気になったのか、「ちょっとマヤン見てくるわ」と西村さんが出てゆく。
星さんが「フリージャズの人たちってすごいですよね、もうガンガン呑んでやるし。」と話しかけてくる。そこまでフリージャズメン事情に詳しくはないのだけどあいまいに相槌をうつ。
しばしして注文したポテトが揚がったころに店に戻ることになる。ポテトをナフキンで包んで持ち帰ることにする。

本番。西村さんの友人たちがたくさん来てくれていたので盛況。演奏も順調。
お題は「夕暮れの白菜」「燃える水」「タコの裏切り」



東京記4
3日目。快晴。
またもや風呂も入らずばったりとそのまま寝入ってしまったので、朝に風呂にゆく。サウナも入る。
ホテルをチェックアウトして近所の喫茶店へ。去年偶然見つけた店だけど、その落ち着いたたたずまいが印象に残っていて今年も足が向くことになった。モーニングを注文。まったりする。


しばしして西村宅にゆく。昼に頼まれてボランティア演奏に行くとのことで、私もアコーディオンで参加することに。アコーディオンでもなにかソロでやってくれと言われる。どうしようかと迷っていると、西村んさんが「蘇州夜曲」の譜面をコピーしてくれる。ああ、これならやったことあるしできるかもと安心する。

時間があるので西村さんと散歩。近所の公園で桜などを見る。もったいないくらい満開。


散歩から西村宅に戻ってくる。一階のネパール料理屋を見るとやはり宣伝の張り紙は出していない。西村さんがしびれをきたしたように店に入ってゆき、「なんで宣伝しないの? せっかく割引セールやってるのに、勿体無いじゃない!」とネパール人店主に言う。
「え?、漢字が書けないから無理?、じゃあ、書いてあげるよ、紙と何か書くものある?」
と宣伝の張り紙を書き出す。2色のマジックを使って、宣伝文句なども書いている。結構凝り性なんだなと思って見ていると電話が鳴り、すでにボランティアの人が待っていてくれたことがわかる。ばたばたと部屋に戻ってあわてて楽器を持って車に乗り、施設に向かう。車の中で「蘇州夜曲」の楽譜を忘れたことに気がつく。参ったな、どうしようと考え込む。

結局ソロは、前に北海道でやったラビアンローズにしようと決める。施設での演奏は、ギター、オカリナ、アコーディオン、ポリタンク、という編成で、おばあさんたちの歌声に合わせて童謡とかガンダーラとかを演奏。楽しげにしててくれたのでよかった。

つつがなく終えて、一旦帰り、またとんぼ返りで中野に向かう。乗り換えが多くて結構面倒。混んでいる電車にアコーディオン抱えて乗るのはつらい。

呑み屋街を抜けて、中野ピグノウスに到着。

妙にややこしいトイレの使い方の説明をうけ、トイレを使用してから、例のごとく呑みにゆく。
焼き鳥屋。シンプルな塩味の、うまいタンやカシラの串を食べつつ泡盛を呑む。
3日目になると話題も尽きてくる。お客さんくるといいね、とか喋りつつセットリストを決める。

本番。この日も順調。
お題は「星を食べる羊」「毒の入った青空」「唐辛子に抱きしめられる」



2019年3月14日木曜日

talk

ふとメモ帳がわりに使っているノートを見ると、ちょうど去年の今頃につくった俳句が並んでいた。別に俳句を作り慣れているわけでもなく、まあ駄句とみなされるかもだが、せっかくなのでここに書き留めておく。


梅が香に列車ゆつくり身を起こす

あめ上がり椿ふわりとやはらかし

ゆきやなぎこぼれをるかなみずのそば

鴨川の鴨黒く溶け春の闇

ぬれねこが紫陽花の下もぐり消え

浮かぶ水と沈む水とにかこまれけり







(タイトルは投句のダジャレ。)

2019年2月21日木曜日

ここしばらく曇ったり降ったりのぐずついた天気がいつまでも続いていて、なかなかすっきりしない。
けれども、そろそろ梅の咲いている時期かと思い、近所のスーパーに買い物に行きがてら梅を探しながら歩こう、と思った。

あちこち、近所の家の庭の植木を見て歩く。いつもの道を通ってしまうと、あまり梅に出会えないのはわかっているので、わざと慣れてない道をえらんで歩いてゆく。3つばかり角を曲がったところで、やっと白い、小さな梅の木がちらほらと咲き始めているのに出会う。けれども匂いをかぎにゆくにはちょっと離れたところにあるので、遠くから見ているだけにする。

思うのだが、梅の花は、におうと頭の奥の方でかすかな、りんという音がして何か世界を少し変えられてしまうような感じがする。あるいは、におうと、頭の奥の方のフィルターをこっそりと取り替えられているような気がする。

梅の仙人、というのがぼんやり思い浮かぶ。何かの物語に出てきたような気がするが、いったいそれは、どうやってなるものなのだろうか。もし自分が梅の仙人になれるとしたら、なりたいだろうか、などということをやはりぼんやり考える。中国の墨絵のようなイメージが頭のなかでちらりとする。

そんなこんな考えているうちにまたひとつ梅に出会う。また白い梅だ。どことなくあまり手入れされてない感じのする庭の、やはりちょっと届かないぐらいの奥の位置に梅の木がある。けれども、なんだか空気の中に梅の匂いがまざっているような気がする。

この辺りは小さな路地が多くて、道も京都の他のだいたいの路のように直角にはついていない。だから、自分がどの方角を向いているのか、ふっと不安になる。こんな近所で迷うことはないと思うが、そろそろ大通りに出てもいいはずなのだがと思う。
もしかして、こうやっていると梅に化かされるのだろうか。化かされて帰れなくなるのだろうか。

それもいいな、と心のなかで誰かがささやいた。

2019年2月20日水曜日

ゆたんぽ


 昨年末に北海道に行った時、ゲストハウスに宿泊したのだが、そこで寝るときに用意してくれた湯たんぽが大きくて暖かくて感銘をうけたので、帰宅してからあらたに大きな湯たんぽを購入して、以降夜は大きな湯たんぽを抱いて寝ている。
 ゆたんぽはじっと抱いて寝ていると、何だか自分の身体の一部になったような感じがする。特に朝方、だいぶんぬるくなって人肌ぐらいになった湯たんぽが、もそりと動いた弾みで、たぽん、と揺れるとき、自分の腹が倍以上も大きくなったように感じられて、これはえらいことだ、えらいことになったなと心の中でつぶやいてしまう。

2019年2月14日木曜日

なので

その幽霊はまだ私に憑いている。だから、その幽霊について書くことはできない。

2019年2月13日水曜日

車窓

 夜、電車で窓を見ていると、世界が何重にも重なって見える。とくに街中を通っているときはそうだ。
 まず、自分が映っている。その向こうに街の灯りがちらちらと通り過ぎてゆく。それだけなら分かりやすいのだが、映っている自分の後ろにも窓があり、その窓の向こうの明かりも、その窓に映った自分の後ろ姿やなんかもやはり見える。それらが眺めていると、透過しつつ、重なりつつ、複雑な旋律のようなものを頭に巻き起こしてゆく。
 旋律からはいくつかの思いがこぼれ落ちるのだが、こぼれた部分は夜が吸い込んでゆく。
 電車はそしらぬまま進んでゆく。

2019年2月6日水曜日

小さな買い物

いつもなんとなくコンビニの半額コーナーは見てしまうのだけど、今日は売れなさそうなヘアリキッドや旅行用せっけんにまざって、雪の思い出が置いてあった。
 たまたまドラッグストアでもらったコンビニ用50円引きクーポンがあったので、買ってみようと思って手に取ってレジに持って行った。ドラッグストアでコンビニのクーポンをもらうと変な気分になる。目に見えないところでいろんなお店がつながっているのを連想するのだ。地面の下に地下茎をのばして。

 持ち帰って、椅子に座り、眺めてみた。雪の思い出を買うのは初めてだ。だいたい即席袋めんぐらいの大きさで、外側の包装もそんな感じだ。わりとそっけない包装のはしっこにプラごみのマークがついている。そういえばそろそろプラごみも出さなくちゃいけないな、と思う。
 いちおう裏に貼ってある使用説明のシールに目を通す。と言っても簡単すぎるくらい簡単だ。取り出して、抱きしめるだけ。食事中には使用しないこと。他の商品と一緒に使用しないこと。

 抱きしめてみた。服の上からだとよくわからない感じなので、シャツの中に入れて抱きしめてみた。目を閉じて、そっと暗闇のなかに入った。

2019年1月2日水曜日

1月2日

謹賀新年。

とくに何事もなけれど近況報告。

読書:永井荷風「濹東綺譚」「あめりか物語」味わい深いかもしれんが、下品と言うか…。そのあたり、品とは何かを考えないといけないかもしれない。鴎外の「舞姫」などでもやっぱり主人公はひどいやつだと思ってしまうのだが。倫理観って何だろうな。
チェーホフ「桜の園」よくできたコメディーだが、ツッコミがいない。これでは笑えないだろう。

今出川駅の前のツタヤがいつのまにかつぶれていた。ちょっとさびしい。