2017年3月27日月曜日

細野ビルヂング

さて、4月に打楽器奏者の木村さんからのお誘いで、細野ビルヂングのイベントに出演するのだけれど、


昨日はその下見に行ってきた。
どんな企画かというと、即興・前衛系のイベント、という言い方になるイベントだと思う。

即興演奏の場合、ぱっとみた印象の新鮮さからいい演奏が産まれることもあるので、当日初めてみる方がいいかなあ…、と行くかどうか迷ったけど、結局行くことにした。

雨の日の大阪をしとしとと歩く。だいぶ暖かい季節になっていてよかった。



チラシの指示通り、駅降りて(というか、登って)すぐにあった。
外から外観を初めて見て、失礼ながらけっこうボロい感じのところだな、と思った。

でも、チラシにも書いてあるけれど、今回の企画の売りは、このビルそのものを見ることでもあるので、興味があったのだ。






なんだか古い学校の校舎みたいだな、と思いながらぶらぶら歩き、
ギャラリー展示してある2階の写真展を見た後、せっかくなので、ビルの人に挨拶をして行こうと思って、1階の応接・管理スペースらしきところにお邪魔した。


オーナーの細野さんが出てこられて、気さくな感じで、いろいろお話ししてくれた。

何でも、このビルはイベントで使われることもあるけれど、ファッション写真のバックにいい感じなので、写真とかプロモ映像によく使われるのだそう。
パソコンで、公式HPにも掲載されているプロモ映像などを見せていただいた。


なるほどなあ、こういうふうに洒落た人がいると、かっちょいい場所だなあ、と思った。


その後、話はビルそのものの作りの話題になって、いろいろと工夫されている箇所などを説明してもらった。

「ほら、こっちの玄関から見ると、柱が等間隔に見えるでしょ」


「げど、別の方向から見ると、全然等間隔じゃない。わざとそうしてあるんですよ。」



「この階段もね、奥の廊下、左は行き止まりなんですけど、
まだ続いてるようにみえるでしょ、
わざと奥をへこませて見えないようにしてあるんですよ、
狭苦しい感じにならないように。」


なるほど、言われて見ると、いちいち細かく凝っている箇所がある。けれども言われなければなかなかわからない。なんというか、さりげなすぎる凝り方だ。どちらかというと、無意識に働きかけられて、じわりとやわらかさが染み込んでくるような。

その、さりげなすぎる凝り方のおかげで、多くの人たちがこのスペースを、かっちょいい、と思うのだろうな、とも思う。

おそらくは、当日はまた別の空気感があるだろうけど、さて、演奏者として、どうこの空間を呼吸しようか。



参考:細野ビルヂングHP http://hosonobuilding.p2.weblife.me





2017年3月22日水曜日

「おもろトーク」

昨日友人の勧めもあってなんとなく、「第7回京大おもろトーク:芸術と毒の微妙な関係」を聞きに行ってきた。

時計台にちゃんと入るのは初めて。新入生のころに、ここは何じゃろな、とふらふら歩き回ったことはあっても、実際在学中に入る用はなかったので。
なんだか変な感じの気分だなあ、と思った。


最初にイントロダクションとして、山極壽一総長と文化庁の内丸氏が話して…、というと肩書きは堅そうだが、実際は結構やわらかい感じで話ははじまった。内丸氏は在学中らいふすてーじ(生協の広報誌)の編集をしていたそうな。文化庁京都移転の話や、文化と芸術をどうとらえるか、ということが語られた。概ね両氏に好感がもてた。

ただ、この最初の対話は、率直で好感が持てたものの、正直に感想を言うと、具体性がとぼしくて、実際各種アート(?)の現場に関わってるこちらからすると、なんだか双眼鏡で遠くから見られてるような気分というか、ぼんやりしたことを言われているなあという印象であった。まあこの人たちの立場からすればそうなるのは当たり前なのだけど。というか、芸術全般というテーマが広すぎるのか。

メインのトークは以下の3つ。

1.民俗学者の小松和彦氏が、柔和な口調で語っておられたのは、
「歴史上、共同体はスケプゴートを鬼(毒)として排除することで結束を強化・浄化してきた、芸術家はある種のシャーマンであり異界との接点である。」
というような話。しかしこれは、なんだか随分危険な考えを連想させる言い方だなあと感じた。
実際にスケープゴートを作る過程や、される立場を想像するとたまったもんじゃない。穢れと祓いからの連想なのだろうけど…。
学者は時々無邪気な子供のように残酷なことを言う。もっとも残酷なのは学者ではなくて世界の方か。

2.松尾恵氏の話はギャラリー経営や有毒女子という企画についての話。トークをした人たちの中で一番現場感覚のある内容で、そういう意味で共感できた。

3.吉岡洋氏はソクラテスやクラーナハにからめて毒を語り、結論は「芸術は毒であるかもしれないが、毒も薬になる」という、よく言えば綺麗な、悪く言えば無難というか割とよくある話という印象を受けた。でもまあ、よくまとまったトークの締めになっていた。



普段、こういうアートについての総論はあまり考えないので、そういう意味で良い経験になったと思う。

たとえば助成金の申請をするときや、パンフの文章を考える時、表現について語らなくてはいけない局面に立たされる。
しかし「芸術とは」という言い方をすると、どこかに嘘が入ってしまう気がする。トークの中にもあったけど、自分勝手であることとアーティストとして自由であることとの厳密な境界はないのだと思う。文化としての絶対的価値だって、そんなものはわからない。後世にじわじわ決まっていくものだろう。でも、ついつい自分に都合のいい言い方が混ざってしまう。

文化芸術育成にたずさわる方々には、そういう嘘を嘘のまま抱きしめてくれる度量を期待したいな、と思う。



(なんだか真面目なことを長々と書いてしまったよ…。)





2017年3月17日金曜日

ダンボールダンス

変な夢をみた。

なんでもダンボールの中に入っている。どんなダンボールかはよくわからない。
ただ薄暗いなかから外がみえる。そうして何か多目的ホールのようなところにいる。
ポップダンスのワークショップに参加していることになっているのだ。
(ダンボールに入ったまま何故踊れるのかはわからない。)
ワークショップを主催しているのは、よく知っているK.Y.さんだ。
「はりきっていきましょう!」
スクリーンにテレビのコマーシャル映像が次々と流れる。そうして、それに合わせてステップを踏み、他の人々と、社交ダンスのように踊り交わしてゆく。所々に知り合いがいる。こういうのも、悪くないな、と思いそのまま踊り続ける。


2017年3月13日月曜日

近況

近況、と言っても、地味に練習してます、みたいなことしかないのだけど。

だんだん暖かくなってきたので、昼は(天気がよければ)川っぺりに行ってアコーディオンの練習などを再開してます。
アコーディオンの練習はやっぱり野外のほうが気持ち良いです。
そのうちまた舞踏の人と即興とかやりたいなあ。

ピアノのほうは今週のボーカルライブと来週のボーカルライブの準備など。あとは基礎練。

あ、カメラ新しいの買いました。またコンデジですが。前のが何かレンズに汚れが出るようになって、いくら拭いてもとれないし、何だかいらいらするので新しいの(と言っても中古ですが)を購入することにしました。今度はフォーカスもマニュアルで合わせられるちょっとだけいいものです。でも、違いはあまりわからないかも。

(写真は庭の沈丁花。においます。)

2017年3月8日水曜日

ふと、行きたくなって、植物園に行って、梅を観てきました。

京都府立植物園に行くのは久しぶり。



まあ、まだほとんどの植物は緑の芽を広げる前でしたが、それはそれで。

梅林は北東エリアにあって、まばらに人が来ていて、のどかな感じでした。



 小鳥が来ていたりして。

梅の香りをかぐと、なんだか、凛と姿勢の正しい人を見たような気持になる。