2019年11月26日火曜日

ラファエル前派展

人によっては「今頃かい」、と言う人もいそうですが、あべのハルカスへ「ラファエル前派展」を観に行って来ました。



不勉強なもので、歴史的な由来とかは知りませんでした。ただ、個人的に、あのダンテ・ゲイブリエル・ロセッティやジョン・エバレット・ミレイの絵画の不思議な色気の理由を知りたいな、とずっと思っていたのです。

なので、今回は、その辺りを考えながら展覧会場をぐるぐる歩き回ってました。

ロセッティ、モリス、ラスキン、ミレイ氏らの複雑な三角関係や不倫?などがパンフに図示されていたりしてましたが、どうも私としてはそれが主な理由としてあの色気があるとは思いたくない。

だって、モデルと関係とか、友人の奥さんとか、そんなのよくあることじゃん。それは彼らに特有なことではないし、主な理由になり得ないと思うのです。もちろん、表現の要素の一つではあるとは思いますが。



それで、ぐるぐる歩きながら考えたところ、おそらくは、これは、時代のせいなのではないか、と。
具体的に言うと、モデルの眼はもう現代とは言わないまでも、近代人の眼になっているのに、衣装や状況はクラシカルな絵画になっている、という微妙なコスプレ感が色気を出しているのではないかと思ったのです。

1850年ぐらいから1900年ぐらい、もう神様は素直に信じられる時代じゃないし、素直に写実的に具象を描けば「どうしよう、私たち」という私たち人間がある、という状況が妙に心打つというか、古典的なのに妙に生々しい感じで迫ってくる、ということなのではないか。


どうでしょうね?

2019年11月22日金曜日

エル・チョクロ

ここ数日どうも体調が思わしくなくて、主にひきこもってだらだらしていたわけですが、それでもちょこちょこと、気になってたことをやったりしてました。

えーと、タンゴの古典「エル・チョクロ」という曲を私はわりとよく弾くのです。この曲はもともとベーシストの西村直樹さんが教えてくれたのを、気に入って自分でもソロでよくやっているのですが、由来とか歌詞とか何も知らないので気になっていました。

それで、先日、お客さんとして来ておられたスペイン語翻訳家の平井うららさんから、タンゴの歌詞集を貸していただく機会があり、「ちょっとちゃんと読んでみようかな。あわよくば自分流の訳文を作ってみようかな。」と思ったわけです。

それで、やってみたものの、どうももやもやする。それでネットで調べてみたら、もっともやもやする。もやもやしたものを書くのもどうかなとも思うのですが、とりあえずそのまま、もやもやと書いてみることにします。




EL CHOCLO

letra de Enrique Discépolo,Carlos Marambio Cantán
Música de Angel Gregorio Villoido


Esta milonga que es en mis horas de tristeza,
Te examiné en tu recuerdo cariñoso.
Encadenando me has tú notado dulcemente;
Siento que el alma se me encoge poco a poco.
Hoy que los años han blanqueado ya mis sienes,
¡Tango querido, viejo tango que me embarga
Con la cadencia de tu música sentida !
Recuerdo aquello época tan linda que se fue.

このミロンガはおれの悲しみの時間、
おまえのいとしい記憶を呼び起こす。
おれは縛りつけられたようになっていて、お前は気づいていた;
おれの心はちょっとずつキュンキュンしていたんだ。
今はもう年月がおれのこめかみを白くしてしまった、
愛しいタンゴよ、古きタンゴよ!
お前の和音の流れがおれをつかんで離さないのだ!
過ぎ去ったあの美しい時間を思い出させるから。

Por tu milagro de notas agoreras
Nacieron sin pensarlo las paicas y las grelas,
Luna en los charcos, canyengue en las caderas
Y un ansia fiera en la manera de querer...
Al evocarte...
Tango querido...

おまえの預言者のような不思議な音色から
思いがけずもパイカとグレラのような恋人たちが生まれたのだ。
みずたまりに映る月、カニェンゲダンスをする尻
愛に飢えたけだものの欲望のマナー
お前を思い出す時…
いとしきタンゴよ…

Siento que tiemblan las baldosas de un bailongo
Y oigo el rezongo de mi pasado
Hoy que no tengo...
Más a mi madre...
Siento que llega en punta a pie para besarme
Cuando tu canto nace al son de un bandoneón...

おれは踊り場の石床が震えるのを感じる
そして過去のつぶやきを聴くのだ
今はもう…
母さんもいない…
おれにキスをするために、つま先立ちで近寄って来るのを感じるよ
バンドネオンの音色からお前の歌が生まれる時にね



(アンヘル・バルガス版より)



日本語訳は池田が書籍の細川幸夫訳とグーグル翻訳および画像検索やユーチューブ情報などを見比べてでっちあげたものです。
訳していて言うのも何ですが、なぜお母んが出てくるのか、とかよくわかってないです。
そもそもこのアンヘル・バルガス版の歌詞、書籍によると「マラビオ・カタンとディセボロの歌詞をうまく編集してアンヘル・バルガスが歌ってるレコードから収録したもの」らしいので、オリジナルの意図などはよくわからないかも、なのです。

では、オリジナルの意図とは何か、これを調べ始めるとまたややこしい。

まず、英語版のWikiを参照してみたら、

「最初、Villoldoさんが書いた歌詞は食べ物としてのとうもろこしの詞であった。彼はのちに別バージョンの”Cariño Puro”というタイトルの詞を書いた。また他のバージョンを、Carlos Marambio Catánさんが1930年に書いた。しかし一番有名なのは、Enrique Santos Discépolo さんの1947年バージョン。これは人生の方法としてのタンゴを歌っている。」(Wiki英語:読み違えてたらごめん)

とある。うーん、よくわからんけど、ディセポロさんバージョンが一番有名で出来がいいってことなのかなあ…?

それで、念のためにスペイン語版のWikiを参照してみた。
すると、

「El chocloのオーケストレーションはÁngel Villoldoさんによって1903年に発表され、1905年に出版された。しかし、もともとのメロディー"タンゴのGuardia Vieja"と呼ばれる部分は1898年には作曲されていた。その作曲にはCasimiro Alcortaという今は忘れ去られて不遇のうちに死んだ黒人のバイオリニストが貢献していたらしい。
1903年にブエノスアイレスのエル・アメリカーノ・レストランで、ホセ・ルイス・ロンカージョ楽団が楽譜を書き起こした時、現地オーナーとの衝突を避けるため、下層階級と共演するときには「クレオール・ダンス」という曲名にして演奏していた。
エル・チョクロはとうもろこしの意味で、ヴィジョルド自身はシチューの具で一番美味しいからその名前をつけた、と言っているが、とうもろこしのような毛の人の渾名だとか、タンゴが生まれた売春宿地帯のことを指してるのだとか、いろいろ言われている。」
(wikiスペイン:読み違えてたらごめん)

とある。ええ?それって、作曲そのものもパクリかもってこと?、いや、パクったとまでは言わなくとも部分的無断流用なのかも?、カシミロって誰?

こうして、調べれば調べるほどもやもやが広がってゆき、よくわからなくなって来ているのです…。まあ、日本で言えば明治時代の頃の話、あいまいでも不思議はないのですけど。

2019年11月5日火曜日

「しるこの園」書き起こし脚本

11月1日より、第45回やみいち行動「しるこの園」書き起こし脚本を販売しております。
 小さ子社さんの協力で、自費出版という形での作成です。販売は、現在のところアマゾン、楽天、ヤフー、honto等々 サイトから注文できるようになってます。「しるこの園」で検索すれば出てきます。


過去にも、やみいち行動の書き起こし脚本化、というのはちょっとずつやっておりまして、古くは20年前「あんこく街」の頃にやっているのですが、(現在もやみいちHPの「過去の行動」から無料で見れるようになってます。)書籍化して販売するというのは今回が初めてです。

一般の、やみいちを観たこともなければ、戯曲を読んだこともないという人にとって面白いかどうかは皆目わからないです。そもそも戯曲を読むというのはハードルの高いことですし、私自身昔学生のころ何も知らずに唐十郎戯曲、つかこうへい戯曲、野田秀樹戯曲など読んだものの、恥ずかしながら初めて読んだときはわけわかりませんでした。戯曲には、上演されているものを知らないと理解しにくいタイプのものが確実にあります。そうじゃないものもありますけど。

なので、まあファンブック感覚で読むものなのかもしれないと疑いつつ、しかし私にとって、いやおそらくは、やみいちを好きだと言ってくださる方であれば楽しめるものだと信じております。
(あわよくばもしかして、知らない人にも伝わるなどということがあればという、かすかな期待も無くもないと思いつつ。)



実は、「しるこの園」は結構いい出来になったから、映像記録をYouTubeに公開しよう、という企画があったのですが、いろいろ話した結果取りやめになった経緯がありまして、
ちょっと残念に思ってました。
だから、カフェギャラリーときじくさんから、本にまつわる企画展に参加しないか、という連絡を受けたときに、「久しぶりに、やみいちの記録を聞き、書き起こし脚本を作ってみよう。」という発想が私の中でつながったのです。

書き起こし作業は楽しかったです。当日に分からなかったネタを、検索して「ああ、そういうことだったのか」と理解したりしました。
そしてそれが本になっていく過程での、フォントを決めたりページ番号ふったり、後付けを考えたりという初めての作業も楽しかったです。

この、書き起こし脚本を作るという企画自体が広がっていくのか、しぼんでいくのか、分からないけど、ともあれいろいろやってみてちょっと違う景色が見れたら楽しいな、と思っております。