基本的に私は怪談とか信じているわけではない。
でも完全に信じてないのか、と言われるとそこまででもなくて、霊感だの超常現象だのというのは多分ないだろうな、と思いつつ、考えないようにしている、という感じにしている。考えると怖いし。
なので、今回のことも まあ偶然だと思っている。
小樽でのライブを終えて、帰る日。
もともとは朝の便の飛行機で帰る予定だったのだが、直前になぜか飛行機が欠航になった。仕方ないので夕方の便に振り替えたのだ。
帰りの飛行機が夕方になったので、その日午前中はゆるゆると、おたる水族館の見物をしていた。
(コロナ騒ぎの中、一旦休館していたが、前日から営業再開していた水族館は、そこそこの客が来ていた。)
それで、2時ごろに小樽駅に戻り、そこから快速エアポートに乗れば5時半のフライトには余裕で間に合うはずだった。
しかし実際に小樽駅に行ってみると、JRが止まっていた。線路に木が倒れてきたのだという。改札のところのボードに「15時以降復旧の予定」と書いてある。
一応駅員さんに状況を聞いてみたが、どうも要領を得ない。他のバスなどの交通手段を勧められる。しかし、この日は18きっぷ使用の計画で進めていたので、それだと予算がだいぶ狂う。それに他の交通手段のことは慣れない土地でよくわからない。
「3時かあ、まあ3時発の電車でもまだ余裕あるし、待ってみるか…」
とこの時は甘く考えていた。
それで、待合室でノートパソコンを広げて、とにかく念のため、ほかの交通手段をとった場合の所要時間などを検索していたのだがなかなか分からない。そのうち先ほど相談した駅員さんが来てくれて言った。「すいません、木の撤去は終わったんですけど、チェックなどを考えると…、5時ごろまでかかるかも」
冗談じゃない。あわてて、とにかく札幌までの便は復旧していたので、3時10分発のJRに乗る。そこからどうするか。駅員に聞くと、札幌には4時ごろに着くという。そこからバスに乗り換えても所要時間的にぎりぎりで間に合うかどうか。大体札幌駅のバスってどこから乗るんだ?。もう電車に乗ってしまったのでwifiは使えない。詳しいことが調べられない。こういう時、携帯を持ってないことが裏目に出る。
じりじりと焦りながら、とにかく札幌に着いて、ほぼ走るような感じでホームをでて、「バス乗り場」の表示のほうに行ってみる。しかしそこは普通の路線バスのターミナルで、ぐるぐる速足で回っても空港行きは見つからない。これはもう、バスはダメだ、と思ってタクシー乗り場に行く。タクシーの運転手さんに時間と運賃を聞く。「空港?、高速使って1万2000円ぐらいかな。5時半だとぎりぎりかなあ」と言われる。1万2000円という金額にくらくらして、とにかく一旦離れる。
札幌駅のベンチに座って、とにかくパソコンを広げて、LCCのサイトと小樽ライブの相方に連絡を試みる。幸い相方の方には連絡が通じる。それでやりとりして、とにかく金がかかろうがタクシーを試してみることにする。
再び、タクシー乗り場に引き返す。タクシーに乗る。「ぎりぎりだね、間に合うかな…」と言われるが、とにかく行ってくれと言う。出発する。
ところが、このタクシーがどうもおかしい。しばらく乗っていると下の方で、ポン、ポンと、はぜるような感じの変な音がする。
大丈夫かな?、と思ったが、運転手さんがギアをがちゃがちゃすると一旦おさまった。おさまったが、しばらくすると、やはり、ポン、ポン、と音がする。運転手さんはしきりとギアをがちゃがちゃする。
そんな感じでだましだまししながら高速に入る。料金メーターはもう6000円をまわっている。最初はそこそこ快調だったが、やはりしばらくして、ポン、ポンという音が鳴るようになってくる。何だか変に焦げ臭い。高速道路のど真ん中である。怖くなってくる。「大丈夫ですか?、急いでほしいのはやまやまだけど、事故を起こしたら元も子もない…」と運転手さんに聞いたが、運転手さんは無言でギアをがちゃがちゃやっている。しかし今度はそれでもおさまらない。
やがて運転手さんが、車を高速道路の路肩に寄せて停車する。無線でタクシー会社に連絡をしている。やがて振り返って、「すいません。これ以上は無理です。他のタクシーを呼びましたから、乗り換えてください。」と言う。しかし、他のタクシーが来るまで20分ぐらいかかるという。
この時点で、ああ、これはもう今日飛行機に乗るのは無理だ、と思った。
運転手さんに電話を借りて、相方に連絡して事情を話し、そのあとタクシー料金を払う。半額だけ払ってくれと言われる。半額の3000円を払う。
結局、そのあとに来た替えのタクシーに乗って北広島駅まで行き、そこで復旧したJRに乗って空港まで行った。
当然、飛行機は行ってしまった後だったので、次の日の便を予約して、空港の温浴施設に一泊した。
次の日は無事に飛行機が来て、無事に帰宅できた。
何だったんだろうな、一体。
池田一平の雑文。音楽活動、演劇活動、その他活動について。
Description by Ippei Ikeda. About Music, Theater, Performing Arts, and other things.
2020年3月27日金曜日
2020年3月5日木曜日
役者はおもしろい
役者って面白いもんだったんだよな、と今更思う。
というのも、最近、ちょろっとだけ映画のエキストラに参加しているからなのだけど、ちょい役なのにもかかわらず、というか何役とか関係なく、自分とはちょっと違う存在になりきっている、ということが楽しい。なんなのか、これは。
やみいちの場合、ネタとか流れとか、ほかに気にすることが多すぎて、なかなか「なりきる」に集中する感じにはならないのだけど。
というか、そもそも「なりきる」って何さ、とか問い詰め始めると、とてもやっかいでよくわからなくなってくる。以前は私生活が、役者としての役に 呑まれるというか影響を受けてしまって、あれ?自分はこんな性格だったっけ、となることが何回かあった。つまり、自分っていうものもあやふやなんだよな。
確か似たようなセリフがタルコフスキーの映画「サクリファイス」に出てきて、そうそう!と思った覚えがある。他の部分はあまり覚えていないのだけど。
というのも、最近、ちょろっとだけ映画のエキストラに参加しているからなのだけど、ちょい役なのにもかかわらず、というか何役とか関係なく、自分とはちょっと違う存在になりきっている、ということが楽しい。なんなのか、これは。
やみいちの場合、ネタとか流れとか、ほかに気にすることが多すぎて、なかなか「なりきる」に集中する感じにはならないのだけど。
というか、そもそも「なりきる」って何さ、とか問い詰め始めると、とてもやっかいでよくわからなくなってくる。以前は私生活が、役者としての役に 呑まれるというか影響を受けてしまって、あれ?自分はこんな性格だったっけ、となることが何回かあった。つまり、自分っていうものもあやふやなんだよな。
確か似たようなセリフがタルコフスキーの映画「サクリファイス」に出てきて、そうそう!と思った覚えがある。他の部分はあまり覚えていないのだけど。
近況
近況、と言ってもそんなにないような。
しかし長いこと書くのをさぼるとなにかいけないような気がして書く。
今朝、夢の中で、私は大文字山へ脇の枝道から行こうとしていた。そして、その枝道はすごい危険な道だったはずなんだけど、どうも見渡してもそんな道はなくて、はてこんなところだったかと 迷っていた。
あれは、起きてから考えると、たぶん小学校時代の千里第二小学校に通ってた頃の思い出がかぶってまざってたのだと思う。
小学2年まではあまり近くに小学校がなかったので30分ぐらい歩いて通っていたのだ。小さい頃の、その通う道での、ワクワクとちょっとした怖さがこころのどこかに残っていたのだろう。
記憶は混じるし、変わるし、あてにならない。
こうやって書き残すことで少しは正確なものが残るかとか思うが、まあ気休めだろう。
正確であったところでどうということもないし。
今年になって、すこしづつ、変わってきていることもあるにはある。
コーヒーの味の違いが少しは分かるようになってきたり。
しかし長いこと書くのをさぼるとなにかいけないような気がして書く。
今朝、夢の中で、私は大文字山へ脇の枝道から行こうとしていた。そして、その枝道はすごい危険な道だったはずなんだけど、どうも見渡してもそんな道はなくて、はてこんなところだったかと 迷っていた。
あれは、起きてから考えると、たぶん小学校時代の千里第二小学校に通ってた頃の思い出がかぶってまざってたのだと思う。
小学2年まではあまり近くに小学校がなかったので30分ぐらい歩いて通っていたのだ。小さい頃の、その通う道での、ワクワクとちょっとした怖さがこころのどこかに残っていたのだろう。
記憶は混じるし、変わるし、あてにならない。
こうやって書き残すことで少しは正確なものが残るかとか思うが、まあ気休めだろう。
正確であったところでどうということもないし。
今年になって、すこしづつ、変わってきていることもあるにはある。
コーヒーの味の違いが少しは分かるようになってきたり。
2020年1月3日金曜日
初夢
あけましておめでとうございます。
今朝の夢。
知らない田舎町を電車で旅をしている。一人旅。駅にいる。
どうも乗り換えがよく分からない。一本間違えて乗り過ごしたらしい。
ややあわてて次の電車に乗る。すると、アナウンスが「もうだいぶ古びた鉄線なので、吊られなければしょうがない。まあ、人生もそんなもんでしょう。」と変なことを言う。何のことかと窓の外を見てみると、自分の乗ってる電車の線路が、途中からケーブルカーのそれになっている。そしてそのケーブルがぼろぼろだ。そういうことか、と思っていると電車が大きな金属で挟まれて、電車ごとクレーンで持ち上げられた。
今朝の夢。
知らない田舎町を電車で旅をしている。一人旅。駅にいる。
どうも乗り換えがよく分からない。一本間違えて乗り過ごしたらしい。
ややあわてて次の電車に乗る。すると、アナウンスが「もうだいぶ古びた鉄線なので、吊られなければしょうがない。まあ、人生もそんなもんでしょう。」と変なことを言う。何のことかと窓の外を見てみると、自分の乗ってる電車の線路が、途中からケーブルカーのそれになっている。そしてそのケーブルがぼろぼろだ。そういうことか、と思っていると電車が大きな金属で挟まれて、電車ごとクレーンで持ち上げられた。
2019年11月26日火曜日
ラファエル前派展
人によっては「今頃かい」、と言う人もいそうですが、あべのハルカスへ「ラファエル前派展」を観に行って来ました。
不勉強なもので、歴史的な由来とかは知りませんでした。ただ、個人的に、あのダンテ・ゲイブリエル・ロセッティやジョン・エバレット・ミレイの絵画の不思議な色気の理由を知りたいな、とずっと思っていたのです。
なので、今回は、その辺りを考えながら展覧会場をぐるぐる歩き回ってました。
ロセッティ、モリス、ラスキン、ミレイ氏らの複雑な三角関係や不倫?などがパンフに図示されていたりしてましたが、どうも私としてはそれが主な理由としてあの色気があるとは思いたくない。
だって、モデルと関係とか、友人の奥さんとか、そんなのよくあることじゃん。それは彼らに特有なことではないし、主な理由になり得ないと思うのです。もちろん、表現の要素の一つではあるとは思いますが。
それで、ぐるぐる歩きながら考えたところ、おそらくは、これは、時代のせいなのではないか、と。
具体的に言うと、モデルの眼はもう現代とは言わないまでも、近代人の眼になっているのに、衣装や状況はクラシカルな絵画になっている、という微妙なコスプレ感が色気を出しているのではないかと思ったのです。
1850年ぐらいから1900年ぐらい、もう神様は素直に信じられる時代じゃないし、素直に写実的に具象を描けば「どうしよう、私たち」という私たち人間がある、という状況が妙に心打つというか、古典的なのに妙に生々しい感じで迫ってくる、ということなのではないか。
どうでしょうね?
不勉強なもので、歴史的な由来とかは知りませんでした。ただ、個人的に、あのダンテ・ゲイブリエル・ロセッティやジョン・エバレット・ミレイの絵画の不思議な色気の理由を知りたいな、とずっと思っていたのです。
なので、今回は、その辺りを考えながら展覧会場をぐるぐる歩き回ってました。
ロセッティ、モリス、ラスキン、ミレイ氏らの複雑な三角関係や不倫?などがパンフに図示されていたりしてましたが、どうも私としてはそれが主な理由としてあの色気があるとは思いたくない。
だって、モデルと関係とか、友人の奥さんとか、そんなのよくあることじゃん。それは彼らに特有なことではないし、主な理由になり得ないと思うのです。もちろん、表現の要素の一つではあるとは思いますが。
それで、ぐるぐる歩きながら考えたところ、おそらくは、これは、時代のせいなのではないか、と。
具体的に言うと、モデルの眼はもう現代とは言わないまでも、近代人の眼になっているのに、衣装や状況はクラシカルな絵画になっている、という微妙なコスプレ感が色気を出しているのではないかと思ったのです。
1850年ぐらいから1900年ぐらい、もう神様は素直に信じられる時代じゃないし、素直に写実的に具象を描けば「どうしよう、私たち」という私たち人間がある、という状況が妙に心打つというか、古典的なのに妙に生々しい感じで迫ってくる、ということなのではないか。
2019年11月22日金曜日
エル・チョクロ
ここ数日どうも体調が思わしくなくて、主にひきこもってだらだらしていたわけですが、それでもちょこちょこと、気になってたことをやったりしてました。
えーと、タンゴの古典「エル・チョクロ」という曲を私はわりとよく弾くのです。この曲はもともとベーシストの西村直樹さんが教えてくれたのを、気に入って自分でもソロでよくやっているのですが、由来とか歌詞とか何も知らないので気になっていました。
それで、先日、お客さんとして来ておられたスペイン語翻訳家の平井うららさんから、タンゴの歌詞集を貸していただく機会があり、「ちょっとちゃんと読んでみようかな。あわよくば自分流の訳文を作ってみようかな。」と思ったわけです。
それで、やってみたものの、どうももやもやする。それでネットで調べてみたら、もっともやもやする。もやもやしたものを書くのもどうかなとも思うのですが、とりあえずそのまま、もやもやと書いてみることにします。
EL CHOCLO
letra de Enrique Discépolo,Carlos Marambio Cantán
Música de Angel Gregorio Villoido
Esta milonga que es en mis horas de tristeza,
Te examiné en tu recuerdo cariñoso.
Encadenando me has tú notado dulcemente;
Siento que el alma se me encoge poco a poco.
Hoy que los años han blanqueado ya mis sienes,
¡Tango querido, viejo tango que me embarga
Con la cadencia de tu música sentida !
Recuerdo aquello época tan linda que se fue.
このミロンガはおれの悲しみの時間、
おまえのいとしい記憶を呼び起こす。
おれは縛りつけられたようになっていて、お前は気づいていた;
おれの心はちょっとずつキュンキュンしていたんだ。
今はもう年月がおれのこめかみを白くしてしまった、
愛しいタンゴよ、古きタンゴよ!
お前の和音の流れがおれをつかんで離さないのだ!
過ぎ去ったあの美しい時間を思い出させるから。
Por tu milagro de notas agoreras
Nacieron sin pensarlo las paicas y las grelas,
Luna en los charcos, canyengue en las caderas
Y un ansia fiera en la manera de querer...
Al evocarte...
Tango querido...
おまえの預言者のような不思議な音色から
思いがけずもパイカとグレラのような恋人たちが生まれたのだ。
みずたまりに映る月、カニェンゲダンスをする尻
愛に飢えたけだものの欲望のマナー
お前を思い出す時…
いとしきタンゴよ…
Siento que tiemblan las baldosas de un bailongo
Y oigo el rezongo de mi pasado
Hoy que no tengo...
Más a mi madre...
Siento que llega en punta a pie para besarme
Cuando tu canto nace al son de un bandoneón...
おれは踊り場の石床が震えるのを感じる
そして過去のつぶやきを聴くのだ
今はもう…
母さんもいない…
おれにキスをするために、つま先立ちで近寄って来るのを感じるよ
バンドネオンの音色からお前の歌が生まれる時にね
(アンヘル・バルガス版より)
日本語訳は池田が書籍の細川幸夫訳とグーグル翻訳および画像検索やユーチューブ情報などを見比べてでっちあげたものです。
訳していて言うのも何ですが、なぜお母んが出てくるのか、とかよくわかってないです。
そもそもこのアンヘル・バルガス版の歌詞、書籍によると「マラビオ・カタンとディセボロの歌詞をうまく編集してアンヘル・バルガスが歌ってるレコードから収録したもの」らしいので、オリジナルの意図などはよくわからないかも、なのです。
では、オリジナルの意図とは何か、これを調べ始めるとまたややこしい。
まず、英語版のWikiを参照してみたら、
「最初、Villoldoさんが書いた歌詞は食べ物としてのとうもろこしの詞であった。彼はのちに別バージョンの”Cariño Puro”というタイトルの詞を書いた。また他のバージョンを、Carlos Marambio Catánさんが1930年に書いた。しかし一番有名なのは、Enrique Santos Discépolo さんの1947年バージョン。これは人生の方法としてのタンゴを歌っている。」(Wiki英語:読み違えてたらごめん)
えーと、タンゴの古典「エル・チョクロ」という曲を私はわりとよく弾くのです。この曲はもともとベーシストの西村直樹さんが教えてくれたのを、気に入って自分でもソロでよくやっているのですが、由来とか歌詞とか何も知らないので気になっていました。
それで、先日、お客さんとして来ておられたスペイン語翻訳家の平井うららさんから、タンゴの歌詞集を貸していただく機会があり、「ちょっとちゃんと読んでみようかな。あわよくば自分流の訳文を作ってみようかな。」と思ったわけです。
それで、やってみたものの、どうももやもやする。それでネットで調べてみたら、もっともやもやする。もやもやしたものを書くのもどうかなとも思うのですが、とりあえずそのまま、もやもやと書いてみることにします。
EL CHOCLO
letra de Enrique Discépolo,Carlos Marambio Cantán
Música de Angel Gregorio Villoido
Esta milonga que es en mis horas de tristeza,
Te examiné en tu recuerdo cariñoso.
Encadenando me has tú notado dulcemente;
Siento que el alma se me encoge poco a poco.
Hoy que los años han blanqueado ya mis sienes,
¡Tango querido, viejo tango que me embarga
Con la cadencia de tu música sentida !
Recuerdo aquello época tan linda que se fue.
このミロンガはおれの悲しみの時間、
おまえのいとしい記憶を呼び起こす。
おれは縛りつけられたようになっていて、お前は気づいていた;
おれの心はちょっとずつキュンキュンしていたんだ。
今はもう年月がおれのこめかみを白くしてしまった、
愛しいタンゴよ、古きタンゴよ!
お前の和音の流れがおれをつかんで離さないのだ!
過ぎ去ったあの美しい時間を思い出させるから。
Por tu milagro de notas agoreras
Nacieron sin pensarlo las paicas y las grelas,
Luna en los charcos, canyengue en las caderas
Y un ansia fiera en la manera de querer...
Al evocarte...
Tango querido...
おまえの預言者のような不思議な音色から
思いがけずもパイカとグレラのような恋人たちが生まれたのだ。
みずたまりに映る月、カニェンゲダンスをする尻
愛に飢えたけだものの欲望のマナー
お前を思い出す時…
いとしきタンゴよ…
Siento que tiemblan las baldosas de un bailongo
Y oigo el rezongo de mi pasado
Hoy que no tengo...
Más a mi madre...
Siento que llega en punta a pie para besarme
Cuando tu canto nace al son de un bandoneón...
おれは踊り場の石床が震えるのを感じる
そして過去のつぶやきを聴くのだ
今はもう…
母さんもいない…
おれにキスをするために、つま先立ちで近寄って来るのを感じるよ
バンドネオンの音色からお前の歌が生まれる時にね
(アンヘル・バルガス版より)
日本語訳は池田が書籍の細川幸夫訳とグーグル翻訳および画像検索やユーチューブ情報などを見比べてでっちあげたものです。
訳していて言うのも何ですが、なぜお母んが出てくるのか、とかよくわかってないです。
そもそもこのアンヘル・バルガス版の歌詞、書籍によると「マラビオ・カタンとディセボロの歌詞をうまく編集してアンヘル・バルガスが歌ってるレコードから収録したもの」らしいので、オリジナルの意図などはよくわからないかも、なのです。
では、オリジナルの意図とは何か、これを調べ始めるとまたややこしい。
まず、英語版のWikiを参照してみたら、
「最初、Villoldoさんが書いた歌詞は食べ物としてのとうもろこしの詞であった。彼はのちに別バージョンの”Cariño Puro”というタイトルの詞を書いた。また他のバージョンを、Carlos Marambio Catánさんが1930年に書いた。しかし一番有名なのは、Enrique Santos Discépolo さんの1947年バージョン。これは人生の方法としてのタンゴを歌っている。」(Wiki英語:読み違えてたらごめん)
とある。うーん、よくわからんけど、ディセポロさんバージョンが一番有名で出来がいいってことなのかなあ…?
それで、念のためにスペイン語版のWikiを参照してみた。
すると、
「El chocloのオーケストレーションはÁngel Villoldoさんによって1903年に発表され、1905年に出版された。しかし、もともとのメロディー"タンゴのGuardia Vieja"と呼ばれる部分は1898年には作曲されていた。その作曲にはCasimiro Alcortaという今は忘れ去られて不遇のうちに死んだ黒人のバイオリニストが貢献していたらしい。
1903年にブエノスアイレスのエル・アメリカーノ・レストランで、ホセ・ルイス・ロンカージョ楽団が楽譜を書き起こした時、現地オーナーとの衝突を避けるため、下層階級と共演するときには「クレオール・ダンス」という曲名にして演奏していた。
エル・チョクロはとうもろこしの意味で、ヴィジョルド自身はシチューの具で一番美味しいからその名前をつけた、と言っているが、とうもろこしのような毛の人の渾名だとか、タンゴが生まれた売春宿地帯のことを指してるのだとか、いろいろ言われている。」
(wikiスペイン:読み違えてたらごめん)
とある。ええ?それって、作曲そのものもパクリかもってこと?、いや、パクったとまでは言わなくとも部分的無断流用なのかも?、カシミロって誰?
こうして、調べれば調べるほどもやもやが広がってゆき、よくわからなくなって来ているのです…。まあ、日本で言えば明治時代の頃の話、あいまいでも不思議はないのですけど。
2019年11月5日火曜日
「しるこの園」書き起こし脚本
11月1日より、第45回やみいち行動「しるこの園」書き起こし脚本を販売しております。
小さ子社さんの協力で、自費出版という形での作成です。販売は、現在のところアマゾン、楽天、ヤフー、honto等々 サイトから注文できるようになってます。「しるこの園」で検索すれば出てきます。
過去にも、やみいち行動の書き起こし脚本化、というのはちょっとずつやっておりまして、古くは20年前「あんこく街」の頃にやっているのですが、(現在もやみいちHPの「過去の行動」から無料で見れるようになってます。)書籍化して販売するというのは今回が初めてです。
一般の、やみいちを観たこともなければ、戯曲を読んだこともないという人にとって面白いかどうかは皆目わからないです。そもそも戯曲を読むというのはハードルの高いことですし、私自身昔学生のころ何も知らずに唐十郎戯曲、つかこうへい戯曲、野田秀樹戯曲など読んだものの、恥ずかしながら初めて読んだときはわけわかりませんでした。戯曲には、上演されているものを知らないと理解しにくいタイプのものが確実にあります。そうじゃないものもありますけど。
なので、まあファンブック感覚で読むものなのかもしれないと疑いつつ、しかし私にとって、いやおそらくは、やみいちを好きだと言ってくださる方であれば楽しめるものだと信じております。
(あわよくばもしかして、知らない人にも伝わるなどということがあればという、かすかな期待も無くもないと思いつつ。)
☆
実は、「しるこの園」は結構いい出来になったから、映像記録をYouTubeに公開しよう、という企画があったのですが、いろいろ話した結果取りやめになった経緯がありまして、
ちょっと残念に思ってました。
だから、カフェギャラリーときじくさんから、本にまつわる企画展に参加しないか、という連絡を受けたときに、「久しぶりに、やみいちの記録を聞き、書き起こし脚本を作ってみよう。」という発想が私の中でつながったのです。
書き起こし作業は楽しかったです。当日に分からなかったネタを、検索して「ああ、そういうことだったのか」と理解したりしました。
そしてそれが本になっていく過程での、フォントを決めたりページ番号ふったり、後付けを考えたりという初めての作業も楽しかったです。
この、書き起こし脚本を作るという企画自体が広がっていくのか、しぼんでいくのか、分からないけど、ともあれいろいろやってみてちょっと違う景色が見れたら楽しいな、と思っております。
小さ子社さんの協力で、自費出版という形での作成です。販売は、現在のところアマゾン、楽天、ヤフー、honto等々 サイトから注文できるようになってます。「しるこの園」で検索すれば出てきます。
過去にも、やみいち行動の書き起こし脚本化、というのはちょっとずつやっておりまして、古くは20年前「あんこく街」の頃にやっているのですが、(現在もやみいちHPの「過去の行動」から無料で見れるようになってます。)書籍化して販売するというのは今回が初めてです。
一般の、やみいちを観たこともなければ、戯曲を読んだこともないという人にとって面白いかどうかは皆目わからないです。そもそも戯曲を読むというのはハードルの高いことですし、私自身昔学生のころ何も知らずに唐十郎戯曲、つかこうへい戯曲、野田秀樹戯曲など読んだものの、恥ずかしながら初めて読んだときはわけわかりませんでした。戯曲には、上演されているものを知らないと理解しにくいタイプのものが確実にあります。そうじゃないものもありますけど。
なので、まあファンブック感覚で読むものなのかもしれないと疑いつつ、しかし私にとって、いやおそらくは、やみいちを好きだと言ってくださる方であれば楽しめるものだと信じております。
(あわよくばもしかして、知らない人にも伝わるなどということがあればという、かすかな期待も無くもないと思いつつ。)
☆
実は、「しるこの園」は結構いい出来になったから、映像記録をYouTubeに公開しよう、という企画があったのですが、いろいろ話した結果取りやめになった経緯がありまして、
ちょっと残念に思ってました。
だから、カフェギャラリーときじくさんから、本にまつわる企画展に参加しないか、という連絡を受けたときに、「久しぶりに、やみいちの記録を聞き、書き起こし脚本を作ってみよう。」という発想が私の中でつながったのです。
書き起こし作業は楽しかったです。当日に分からなかったネタを、検索して「ああ、そういうことだったのか」と理解したりしました。
そしてそれが本になっていく過程での、フォントを決めたりページ番号ふったり、後付けを考えたりという初めての作業も楽しかったです。
この、書き起こし脚本を作るという企画自体が広がっていくのか、しぼんでいくのか、分からないけど、ともあれいろいろやってみてちょっと違う景色が見れたら楽しいな、と思っております。
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