2017年5月26日金曜日

東京記3

18日(木)オフ日。この日はライブなし。

せっかくなので、国立新美術館に『ミュシャ展』を観に行った。この展覧会、関西には来ないということなので見ておきたかったのだ。
メトロで乃木坂駅まで移動。電車を降りると駅から美術館まで通路がつながっていて、みんなそっちへぞろぞろ歩いていく。通路の中でチケットを売っているので、そこで買う。

駅を出てみると、すごい行列だった。

行列は嫌いなので後悔したが、せっかく来たのに引き返すのも何だと思い、行列に並ぶ。



ミュシャ展「スラブ叙事詩」。

入った途端、でかい絵の群れに圧倒される。

でかい。そしてきれいだ。




*展覧会HPより抜粋文
「1911年、ムハ(ミュシャ)はプラハ近郊のズビロフ城にアトリエを借り、晩年の約16年間を捧げた壮大なプロジェクト《スラヴ叙事詩》に取り組みます。故郷を愛し、人道主義者でもあった彼は、自由と独立を求める闘いを続ける中で、スラヴ諸国の国民をひとつにするため、チェコとスラヴ民族の歴史から主題を得た壮大な絵画の連作を創作したのです。」


ふだん、こういう展覧会に行くときは私は展示を3回巡ることにしている。貧乏根性もあり、じっくり、たっぷり作品をしゃぶりつくしたいと思って。一回目は説明も何も見ずに自分の印象のみで見る。2回目は説明を全部読み、作者の生年から計算して何歳ぐらいに書いただろうとか、描かれた時の状況を想像しながら見る。3回目はもう一回最初の印象を確かめつつ見る。近づいたり、遠ざかったりして見る。
けれども、この日は、これだけ会場が人でぎっちりだと移動がままならない。歩くたびにどこかのおばちゃんとぶつかりそうになる。仕方なく、かろうじて2週してあきらめることにする。

…きれいだけど、意外と印象は軽いな、と思う。テーマは大きくて重いはずなのに。例えばゴッホやムンクやピカソの絵を観に行った時の、あの腹にたまる感覚がない。それは、多分ミュシャがイラスト出身の画家だから、というより、描く目的の違いなのだろうなと思う。

彼はたぶん、自分の内面を探求しようと思ってない。表現手法の向こうに新しい何かを発見しようともしてない。 ただ、夢のような 『汎スラブ世界』 の美しさを描こうとしただけなのだろう、と思う。


そうして、歴史に詳しくない私だけれども、第一次世界大戦前後にこの絵が製作された、その後のスラブ世界、つまりロシア、ウクライナ、チェコ、スロバキア、セルビアやクロアチアなどのことを思うと、何とも言えない気分になってしまった。





さて、絵を鑑賞してさらっと帰ろうとして道に迷ったりしながら、夕刻になり西村宅に帰宅。近所の呑み屋に出かけて西村夫妻と駅前の酒場で呑む。本当に毎日吞んでるなあ。



モツを焼いたものが美味しかったよ。



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